4 それでも反復は気持ち良くて難しい


t・えー、実は記憶に曖昧なところもあって、この楽譜の段階、2002年のバージョンでレコーディングに臨んでいたんですが、実際の演奏は、次の(最新版)スコアに見られる部分...

※13

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y・これが僕が手にしている唯一のスコアですね。白マルが付け加えられている。

t・ええ。この最新のバージョンに、録音時にはこのようなスコアの形になってはいなかったですけど、実際に演奏した内容はちょっと近づいていたと思うんです。というのは白マルが付け加えられた具体的な理由となりますが、それぞれが(オクターブ音の)反復をしている10人ほどの人間が一斉に音を出すところでは、最も聞き取りやすい音に誰でも飛びつくんです、次に誰かのまねをする(グレーのマルに移行する)ときには、つまり、かなり強めの大きい音で、反復の振幅数がぱっと取れるものに飛びつく。あんまりにも長くてゆったりとしているものは、どこで折り返しているのか、自分自身も吹いているから、わからないんですよ。だからなるたけ短い、ボ、ピ、ボ、ピってやっているキレが良くてね、しかも音がデカい人のところに行きやすい傾向があったんです。こういった経験を重ねていく中で、いっしょに揃うことはそんなに嫌じゃない、むしろ気持ちいいことになりつつもあった、と同時に、何かそれがパターンになるのって、どう?っていう気持ちも、ちょっとあったんです。つまり、強くて、どちらかといえば早い音を出す人の方へ皆つられちゃう。もしくは自分が一番よく聞こえる、すぐ隣で音を出している人の方にほぼ行っちゃう。遠くの人の音に耳を澄まして、自分も吹きながら、聞いて合わせるのって結構難しくて、

y・それで小さな音で吹くようにしようと、

t・そうなんです。

y・でもこの譜面(最新版の)、見てないんでしょ?

t・まだ、見てないんです(この録音時には)。逆に、まさにこういったことをレコーディング中に、この辺のニュアンスが、どういう過程だったか、その記憶が定かじゃないんですが、伝わったんだと思うんですよ。つまり、誰かに合わせるときに、いつも隣にいる人とか、音の大きい人とかじゃないって、皆もどこかで意識してくれて、だったら、反復しながら自然にすっとこうしぼんでいったら、ということができていた。そういうことがあったんじゃなかったかと思うんです。少し、こう、ちょっとですが、より積極的に周りに耳をそばだてるようになったんじゃないかなっていう...

y・それはもう、暗黙の了解で?高橋さんが新たなルールを付け加えたということ無しに?

t・いやぁ、新しいルール追加じゃなかったですね。わざわざ、一番遠い人の音をちゃんと聞きなさいだとか、隣の人の音を真似しちゃダメだとか、なかったですね。なんとなく、いろんな個別のパターンが鳴っているところを見渡す、誰かに寄り添う前のときには、自然に皆の音が聞こえるようにしようという意識が働いたんじゃないかな、と思います。で、こういうことがレコーディングが上手くいった理由の一つだろうし、同時に、個々の反復パターンの精度の見直しから、無茶な飛び方の抑制へとつながって、寄り添う方法の変化へと至った軌跡の証明だとも思うし、だからこそ、先ほどちらっと出てきましたけど、新しいスコアにわざわざ書き加えていいんじゃないかと思った部分になったわけです。

y・なるほどね。そこは、ちゃんとリハーサルやってよかったですね。聞き所としてね、一人ひとりのビート感で演奏しているところから、ユニゾンへとビートが収縮していく、そのつなぎ目が本当に美しいんですよね。ここはなかなか、いわゆる音楽的な演出では作りにくい所なのではないかと。イントロから30秒ぐらいまでのところに、この曲のエッセンスが詰まっていると思うんですが、白の無印のところから、黒マルに行って、グレーの部分に移っていくと。最初の30秒で、事態は(全体として)おおよそ、その三つの過程を経ていくわけですね。最初の白マルは無音を要求されていましたので、録音されたものには含まれていないんですけれど、黒マルから、グレーへの移行はつまりユニゾンを試みる人の割合が増えていくということだけれども、ここにおける音の現象の変化はあまり他では聞くことが出来ないのではないかと思う。ビート無しの状態からそれが立ち上がってくる状態への移行を聴かせる音楽としては、例えば僕なんかはインドの古典音楽(※14)などを思いだしてしまうのですが、他にもいくらでも例を挙げられると思う。そして、そうした場合、この変化それ自体は必ず意味性を帯びているわけです。それは、明と暗であったり、性と俗であったりというように、一見いろいろなことが言えてしまうようでいて、構造的には鮮やかな対称性の提示という事で一貫していると思います。まあ、むしろそういう利用価値でいいわけですが。(以下柳川氏暴走)「octopus hold」の場合はね、演奏それ自体があくまで自律しているように聞こえるんですね。ビート感において明らかな変化が曲中幾度となく聞き取れるのですが、それゆえに何かをリスナーに提示しようとする振る舞いではないということですね。リズムの変化を構造化することで、意味の共同性の中に聞くものを巻き込んでいく(例えばブレイクするとかいう)ような在り方ではない。それでは、我々が「octopus hold」に聞き取ってしまう”変化”とは何なのかということになるんですが、一つは、これは変化のプロセスを聞いているのだ、と言えるのではないか。ということはもはや”変化した状態”などは耳につかないということですね。言い換えれば誰も”変化する瞬間”(音楽においてはその到来がしばしば予定調和的であるところの、下卑た待機の状態)などは期待できない。そこでは複数のパルスがあたかもあるがままに共存していて、我々はその全体がもつれ合う様を全時間に渡って聞いているのみであると。勿論このあるがままというのは「octopus hold」の譜面に記譜された状態のことを言うわけですが。

※14 インドの古典音楽


t・僕個人としては、真っ白な真ん中から、イメージとしては鳴ってないけど鳴ってるというところからね、誰がどういう状態でどのタイミングの反復を始めるかは、いつもスリリングで、いいんですよ。ですから、柳川さんが言われた、冒頭の30秒間、というのは的確な指摘ですね。確かにここの良し悪しって、大きいと思うんですよ。いきなりここで、ちょっとテンパったようにパンと出て、パパパパっとやられちゃうと...(笑い)。そういうことは、だんだん無くなってきていましたね。ウソ臭い言い方ですが、ホントに自然な形で、もともと鳴っていたかのように先に出るべき人がスッと、こう前に行ってた感じが...いつも実際に誰かが先に出るんですけれどね。

y・先に僕も似たような言葉を使いましたけれど、この”自然な”というキーワードが、音楽にとっては、良くも悪くもポイントになってくると思うんですね。繰り返しになりますけど、リズムが無いところから、明確にそれが立ち上がってくるというその瞬間は、意味性にさらされざるをえない、共通認識を喚起させられる時なわけですね。けっきょく、こうした時の到来が自然に起こりうるのかということ。そして音楽形式としてのリズムの有る無しとは距離を置いたところで、結果的に行雲流水があのように振る舞う事の自然らしさというのは、それとはまた別の事態であるのでしょう。それを耳でもって聞けてしまうということですね。

t・ライブの時とはまた違う、レコーディングにおける独特の緊張感や、音が記録されてしまうというある種の敬虔な気持ちなんでしょうか、わからないんですけれど、すごくそういうのがいい方向に作用したかなって思いますね。結果論ですが。

y・メンバーの皆は、レコーディングに臨むに当たって、何をもって良しとしようとしたんでしょうね。

t・なんでしょうね(笑い)。

y・この曲のルールを完全なコンセンサスをもって理解していたわけではなかったのでしょうけれど、それぞれがこの曲、あるいは行雲流水に何かしらの同一性を見いだしていたはずだと思うのですけれど。

t・やっぱり、アンサンブルとしてまとめる、まとまる方向へ、ということはぼんやりとしながらも皆思っていたんだと思うけど。

y・行雲流水というのは、ポップですよね。サウンドアートだとか、実験音楽の範疇では結構これ異例のことなんじゃないの?高橋さんが選んだ、選んだというか、ふっと採用しただけなんでしょうけど、G、B、Dというのは、明らかにこれGメジャーなんですよね。Bマイナーに向かってしまうかもしれない、なんて懸念は微塵も感じないですよ。

t・まあ、無いですね(笑い)。皆がメインで使っている楽器が鍵盤ハーモニカですから、オクターブを鳴らすのに何処が弾きやすいか、というのが現実的な問題としてはありました。もう一つには、つい数日前に、一年ぶりぐらいで行雲流水のライブ(※15)をやったんですが、そこでやったすべての新曲も、Dで始まるペンタトニックスケールで上げました。好きなのかな?と言ってしまえばそれまでですけど(笑い)。D、E、G、A、Bという5つ、すべての曲がこれだったんです。

y・管楽器の人達もピアノのソ、シ、レを吹いているわけですね。

t・はい。これはもう申し訳ないですけど、鍵盤ハーモニカの人達のためにソ、シ、レですので、管楽器の人達には適宜移調などしてもらってます。

y・まあ、先程からこの曲の印象ということで、僕も勝手なことばかりまくし立てちゃいましたけど、まず注目して欲しいのは、この暗くなってないということなんですね。それから、パルスでユニゾンする勢いです。しかも、始めた当初は、なぜか皆、軽々しくユニゾンすることを避けてたというんだから。アート系の自尊心が邪魔したのか知らないけど(笑い)。

t・音楽的かつ哲学とは言いませんけど、やっぱり人と息を合わせるということ、日本語としてフツウにある、息を合わすというのがね、ちょっと好き、というか、なんでしょうかね(笑い)。

y・譜面の見方として、黒マルにおける我がちなパートと、グレーにおけるユニゾンパートと、皆うまくその中間を狙う読み込みをしてきたなと思いますね。

t・そういうことでしょうね。それぞれの、まあ、個性というか、自分たちを出しながらも、どういう形のときでも人と寄り添いつつ、というのがこう、なんかね、あまり苦もなく出せたかなという気はしますよね。

y・誰もルールに逆らわないというのが、ある意味面白いですよね。

t・ライブの時には、それでもすごい勢いで、パパパパパーということもありましたけどね(笑い)。

y・現実的ですねそれは、ファニーだ(笑い)。録音で聞ける演奏においてもね、早いパッセージが演奏可能な楽器を扱っている人が、32分音符みたいな極端に早いパルスを弾いていて、でも、誰もそれについていかないんですよね。無視してる。皆賢明なんですね。それでまた、当の突っ走ってる奏者も、誰もついてこないのがわかってて、周りを見回しながら、こういう存在がこの場にいても良かろうぐらいの距離感で弾いてるから、演奏が安定してるんですね。

t・ありましたね。だからこの「esquisse 3/3」に収録されている「octopus hold」を聞くと、自然に展開と言っていいのかな、

y・いや、まさに展開してるんですね。何事かが。

t・それが不思議。

y・この曲の主題はまさに展開するということだと思うんですね。ここでのルールというのは単純明快で、白から黒そしてグレーに行ってまた白に戻るというコースを、皆同じようにたどらなければいけないということだけです。その際、白黒グレー各場所でどう振る舞うべきかの規定は、大きく各人の任意性にゆだねられていると。そうすると、さほど複雑とも言えないトラフィックの上で、展開と行って差し支えないであろう何事かが起こりうるんだということですね。それは、子供のころ、蟻んこの行軍をひたすら見つめ続けることができたのと同じように、魅惑的な何かをそこに聞き分けることができるということでして...

t・アナーキーさ、てこととイコールになるかどうかはわかりませんが、以前の(バージョンの)段階ではやはり、ちょっと暴力的なぐらい音がいっぱい出過ぎて、それを回避したかったというのはありますよね。だけど、ただこれを何回かやったら休みって言うような、そういう単純なルールではなく、もうちょっと自然な形で、なんて言うんですかね、色を変えてく方法を見出したかったというのはあるかもしれないですね。

y・そろそろまとめに入りたいと思います。色々お話伺わせていただいて、前回と同じように、やはり行雲流水の持つ学びの場としての特性に思い当たりました。それは例えば、ユニゾンすることの音楽的な妥当性を、体感することでゼロから獲得していく過程などからも理解できます。そしてその際に、グループが図形楽譜を用いているというのは非常に有意義だし、合点の行くことであるなとも思います。記号による演奏法の表記は、直感に基づく経験値を合理的に束ねていくのに向いていると思うし、それを読む人達が、いつまでもカンをたよりに先に進むことができる。これは感情表現を方法的に理念化していく(つまりベタな意味で音楽的である)ようなこととも違うし、むしろそこで起きていることをリアルに体感し続けるためのルール作りをしているわけですね。

t・がっちりと、こことここはユニゾン、ここはそうじゃなく、というふうには決めたくないんです。別にそれを自由だからと、大きな声で言うほどではないんですけれど、

y・なんせ、森の中で鳥が鳴いているわけですから(笑い)。

t・それを単に指揮者が制御する方式ではないやり方で、だけど、何か自然な一致が出てきたりする心地良さを生み出したいな、と。

y・これやっぱり、ある程度決められたメンツで、ある程度場数を踏まないと、このような状況は生まれにくいんでしょうね。これが、学びの場を生む定義だとすれば、やっぱり大変なことであると同時に、素晴らしいですね。

t・冒頭にあった、行雲流水の在り方で、誰が入っても一定のルールで、できると言っておきながら、実はですね、このぐらい、レコーディングの現場を踏んだり、記録され得る演奏ができて初めて、誰か本当に新しい人が入っても、暗黙の形でも、ニュアンスというのかな、が、わかってもらえるという気がしますね。皆が、てんでんばらばらな形だったらね、ホントのことを言うと、ポイっと入った人は、戸惑うしか無いはずなんです。

y・楽譜は一見わかりやすいように見えても、共有する体験無しにはただの図形なのかもしれませんね。

t・ええ。だから、レコーディングという経験などを通して熟成されていったかな、この曲は。初期の、ものすごい短絡的なアイディアから、ずいぶんと膨らんだ感は「noon nap nude」同様、これにもありましたね。

y・久しぶりにじっくりこの曲の譜面を読んでみて、音を聞いて、なるほど、譜面の通りだ!と思って驚きました(笑い)。あまり何度も言うと手前みそになってきますけれど、最初はむしろ、譜面通りやってみたら、ぐちゃぐちゃなことにしかならなかったというのは、逆に感慨深い。

t・不思議ですね、だから、形として目に見えるものに起してなくてもやはり、皆でやるからこそ、最後には暗黙の形で、新たなルールなり、約束というより、こうした方がよりいいと思えるものが何か見つかってくるのかなという気がしますね。

y・行雲流水はまたライブなども始めているということで。

t・はい。一年ぶりにやってみて思った感想は、今回は久々に11人なんていうほぼフルメンバーに近い形でやれたこと、あとはこの対談において再考の機会を与えられているということもありますし、そうすると、やはりもう一度皆で集まってですね、何か一緒に作っていくという間近な目標を持ちながらやっていくと、より、

y・レコーディングなんて話も出てますね。

t・そうですね。ぐっとこう面白いもの、またいろんな発見が生まれるかなと。それ(レコーディング)が目標ということではないですけれど、ずっと気には掛かっているかな。何か小さなものを積み重ねて、よりいいものにできる、前回の、数日前のライブは、その足がかりっぽくはありましたね。

y・こういうタイプのものですから、聞いてもらってナンボというよりも、作り手が作ってナンボと言うことの方が大きいと思うので、

t・ああ、もう、そうでしょうね。

y・これからも、定期不定期はあまり気になさらずに、やるべきときが来たらどんどんやっていただきたいと思います。

t・ええ。ポップはねらってますよ!ホントに(笑い)!

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