y・これは高橋さんとも早い時点で打ち合わせていたと思うのですが、オムニバスといってもどんな類のものに成るのかということは考えていたと思います。僕が出したアイディアは、いわゆるワールドミュージックというふうに括られるジャンルの中では、例えば、"西アフリカ"というお題目で一枚アルバムを編纂するということになった場合、あまたある小部族の伝統的なフォークミュージックと部族の枠組みを越えたもう少し広い地域を対象に作られたいわゆるローカルなポピュラーミュージック〔ここでは個別のアーティスト名が一つの商品名と成りえます〕、こういうものが同時に並べられるようなコンピレーションというのはよくあるわけです。"マリ共和国"という名のもとにマリンケ族のコラ(※13)を使った純粋に共同体の中でのみ機能するフォークミュージックと、サリフケイタとレイルバンド(※14)のポップチューンが同時に聴けると。当地の人たちがこうしたアルバムの編集形式にどういう反応を示すかはわかりませんし、非常に繊細な問題だろうとは思いますが、いずれにしても遠く離れた日本でそのようなアルバムに出会うことの刺激というのは抜き難くあるわけです。伝統音楽と、そこから派生しつつも別の受け手、別の〔多くは都市的な〕機能を得ることになるローカルなポピュラーソングが、特定の地域原産であるという事実をもってしてのみ半ば暴力的に一つトコロに収められる。しかしこれが聴いてみると面白いわけです。われわれが作ろうと思ったのこういうオムニバスの形式であったと思います。もちろん架空の地域を想定しているわけですが。行雲流水はどこかの一トライブで、彼らの共同体の中では特定の機能を持つはずの部族の音楽を演奏している。その音楽のフィールドレコーディングですね。Amephoneはこの部族出身者なのか何なのか、まあ、近いところの血を引く者で、今は都会に出てきて、かつて得た音楽的遺産を食い物にして(笑い)それが本来持っていた機能を度外視して金もうけの手段としている。刹那的な音楽をやるわけです。この二つのタイプの音楽の違いは、一つには録音方法に反映させる。行雲流水に対してはライブレコーディング。Amephoneは従来のマルチトラック方式を用いると。これは聴けばすぐにわかるはずですね。いずれにしてもこうしたコンセプトを高橋さんは初期の段階から理解して、その上でその実現可能性について不安を覚えていたのかもしれないですね(笑い)。

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※14 サリフケイタとレイルバンド

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t・アルバムを一枚切るという制作の段階に入って、つまり行雲流水が動き始めたときに、その枠組みをどうするかという今言われたような話はきっと聴いていたんです。ただその時、今のような内容としてはスッとは入ってこなかったのは、むしろ我々のこと〔存在・音楽〕が全体の中では非常に扱いずらいのではないかという思いが一番にあって...。

y・それは感じませんでした。

t・そういう不安を当初は感じていたんですよ。

y・人数が多すぎて話がしずらいといったレベルのことは感じましたが(笑い)ちょっとまた話がそれますが、この対談では、行雲流水というグループが、どういう音楽的アイディアを持っていて、それの実現に向けてどのような実践を経てきたかという話はきちんとしなければいけないと思っています(※ 次回の対談でお届けいたします)。今回は高橋さんの方のスケジュールの都合でこの原稿の直しに時間が割けないということで、あまり深く行雲流水について触れることは出来ないと思っているのですが、一言だけ申し上げれば、活動を供にすることから来る不安というのはもちろんありませんでした。これは映画を作るんでも、演劇でも何でも同じだと思うんですが、この人たちと一緒にいるとなんか面白いことが起きそうだなという、直感が働いて、これに基づいて声をお掛けしたわけです。それなりに互いに労力を要する共同作業を始めるに当たって、こうした直感を契機に事を進めていけるということが、実は長く一緒にやっていける秘訣ではなかろうかと思っています。冒険を最終的に支えているのはこの勘のはずです。

t・結局、お聞きしたいのは、一曲の中でも、先程から何回か申しておりますが、計算で完全に割り切るという形だけでもなく、偶発性のみにもたれ掛かっていくわけでもなく、調和のとれたものに仕上げること、もう少し広く見ていくと、一枚のアルバムの中での、行雲流水の音、amephoneチームの音、両者の調和の計り方にどういったものがあるのか僕自身は見えていなくて、いったいどんな形で仕上げられるのであろうかという思いをずいぶん感じてはいたんですね。ま、これはお任せするしかなくて、僕らは単純に渡りに船で、乗って楽しめればいいやというぐらいの感じで進むことになったのですが、結果「ESQUISSE 3/3」という一枚のアルバムになったものは、十年ほど前の、ずいぶんと時間の隔たりのある作品をまた聞き返してみて思ったことと極端に言えば、変わっていない、なぜこういう形で収まるのかというマジックそのものの不思議はずっと変わらないんです。先程の例として話されたオムニバスアルバムと同様に、次から次へと様々なテイストの曲が飛び出す、一所の〔しかも架空の〕、という理由だけで...。何か不思議な調和が結果としてはとれるのだろうというのはもちろんわかってはいたけれど、始めた当初はどんな風になっていくんだろうと不安だったわけです。実際のところ、こういった冒険を達成する確信はどこにあったのですか?

y・この作品を作り始める直前にちょうどTsuki No Waというグループのセカンドアルバムを制作していたと思うんですが...

t・「spring thunder」(※15)の前ですよね。

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※15 「spring thunder」

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y・それよりはずっと前です。ここでちょっと整理して時間軸にそった活動の変遷を振り返ってみたいのですが、Tsuki No Waのセカンドアルバム(※16)をプロデュースし、それとほぼ同時に「ESQUISSE 2/3」(※17)とという作品を作っていました。これはこのようなタイトルがついてはいますが、その内容はアヤコレットというシンガー・ピアニストの弾き語りアルバムです。ここでは秋山徹次、杉本拓、中村としまるといった人たち(※18)との共演を含んでいます。この二つが終わって、次に何をしようかというときに行雲流水が現れたわけですね。こうして「ESQUISSE 3/3」が制作されることになったのですが、われわれがまず初めにしたことは徹底的なリハーサルでしたよね。

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※16 Tsuki No Waのセカンドアルバム

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※17 「ESQUISSE 2/3」

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※18 秋山徹次、杉本拓、中村としまるといった人たち

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t・ええ。

y・これが今から考えると信じられないんですが、行雲流水のメンバー11人が月に4〜5回、週一ぐらいのペースで我が家で行われていたリハに毎回ほぼ全員参加していたという。これを三ヶ月ぐらいの間、定期的に続けたわけですね。つまり、上述した二作品の次に来るのは「ESQUISSE 3/3」ではなくて、行雲流水のリハなんですよ、僕の中では。このときはまだいつものように、よし、新作を作ってやるぞという姿勢ではなかったように覚えていますね。畑を耕そうじゃないか、という心積もりでした。

t・なるほど!それで、ちょっと今ここで初めてって言うのもなんですが(笑い)、合点がいきました。我々は多分、amephoneという人から話を振られて、何か一緒にやっていこうとピクニック気分で足繁くリハに集まっていた反面、これはレコーディングにつながる重大な作業なんだというおかしな形でテンパッていたとも思うんです。個人的に僕は集団を率いているということもあって、余計に...

y・あの人たちがテンパッていたようには全く見えませんでしたけどね(笑い)。リハの最中にお菓子を食べないように、とか注意したりして(笑い)。

t・彼らは楽しんでましたね。もちろん楽しみ半分、レコーディングという何か形にするシゴトの気持ち半分で。あれだけ大勢の仲間が毎回集まり、僕らはその中で好き勝手に遊ばせてもらい楽しんでいたわけですが、僕個人としては、行雲流水チームそのものをまとめ、さらにその力を凝縮して一枚のアルバムに、さらに他の様々な要素がガシッと今までのように一つの形にまとめ上げることは可能なのだろうか、という不安がどこかにあったのですが、どうやらそれは杞憂だったのだということが、ようやく今のお話で、はっきりいたしました。あのときは作品としてまとめるということよりも、耕す時間を取っていただいていたのだなと。

y・そうですね、取っていただいていたというのは少し大げさな話になってしまうと思うんですが、いずれにしても我々はここに至るまでにもう何枚かアルバムというものを作っていましたから、作るぞということとなればそれはもう最終的には何か形のあるものが出来るということはわかっているわけですね。結局僕にとってはそのつどアルバムを作っていくということは、毎回新しい音楽的な経験を積むんだということに等しいわけです。毎回人が集まって何がしか音楽的な体験を共有していく、その機会さえ持てれば作品というのはいやでも出来てしまうわけです。逆に作品作りということをあまり考えすぎるとつまらないことにしか成らない。だからそのつどプロセスをいかに充実させていくかということを、商売を目的とはしえない我々の活動を眺めてみたときに重要な功利性としてとらえていかなければいけない。そうしないと制作ということは最後まで持ちません。行雲流水との出会い、その音楽的なアイディアはすごく斬新なものであったのと、僭越ながら僕が絡むことによってこの人たちはもっとずっと面白く成るという確信とで、これはまた新しい経験が出来るな、ということで話を進めていったように思います。

t・この十数年というamephoneの音楽と付き合ってきた時間の中で、単なる偶発性でも、計算づくでもないきちんとした独自の調和の取れたマジックが成立した作品というものを、結果として出てきたCDやカセットというメディアによって聴いてきた人間が、まさにそういう現場に始めて関わったことによるギャップですよね。今まで、形あるものとしてしか知らなかった者が、今おっしゃられた過程とか経験に直面する中でいかにしてまとまるのか、自分の中では予想がつかなくて、具体的にはどのように一つのアルバムとして成立していくのだろうかと、余計なところが気になっていたんでしょうね。しかし正直に思い返して言えば、実際のところ、リハーサルを繰り返していく途中はそういったことが気にはなりつつも、ずいぶんと楽しい体験というものがまずあの中であってね、とやかく思ってはいても少しずつものの形が出来ていくのを目の当たりにして見られること、やっぱり音楽的な経験を一緒に踏まえることが出来るという喜びはなによりありましたね。行雲流水は実際それでずいぶん成長しましたし。

y・行雲流水は見る見る良くなった。それはつまり音楽的になったということですけれど。音楽としてスムーズに耳に入ってくるような演奏が出来るようになった。

t・あの中では本当に不思議な時間というものがあった。十数人の人間が一緒にものを作っていく中でその時にしか出来えないような、その時にしか経験しえないようなことが、毎日の様に起こっていた気がします。形になるものは録れなかった時であっても、様々な人の出入りや発見があったり、ああいったことはめったやたらには起きえないであろうなと思いますね。

y・いずれにしても「ESQUISSE 3/3」における行雲流水の話というのは時間を作ってゆっくりやりたいと思っているんですけれど。

t・ええ。具体的には、そのような時間を持ったことから、曲というものがまとまるという事実、我々行雲流水とamephoneはそういった経験を共有することで、一つのものを作ることができた。実際にamephoneという個人は今までもずっとそういった形で、その一個一個の単体のための完成に向かうというよりも、ある一つの時間経過、Tsuki No Waのセカンドアルバム、「ESQUISSE 2/3」の制作といった過程の中で、だんだんと集約されていくものが、作品なのだと...。しかし実際に音を聴く側としては見える形、CDなりの手に取れる状態しかないわけです。〔だからこそ、このような対談の必要があると考えたわけですが〕そこで、リスナーサイドを代弁しての素朴な質問ですが、アルバムタイトル「ESQUISSE」の由来、さらには三部作である理由は何でしょう?

y・これはですね、積極的に企画倒れしていますね。このシリーズではもっと手早く作品をアップする予定でいたのですけれど〔時間のかからない制作方法を見極めたいという理由もありました〕、やっていくうちにですね、エスキス、これは美術用語がもとにあって、習作とかいった意味なんですが、これは「ESQUISSE 3/3」を聴いた人は感じ取ってくれるであろうと思うのですが、習作の域は超えてしまっている。むしろ、それが絶対的に価値のあることだと断言はしませんが、秀作になってしまっていますね。いや習作というものの存在意義は今確実にあるはずなんですよ。作品が完成しているかどうかを見極めるうえでも、またプロセスというのは作家にとっては理論を組み立てていく作業でもありますから、そのための手の跡を残しておくのは重要なことだと思っています。むしろ、いい加減じゃ作れないですよ、習作は。ま結局ですね、こっちも数に圧倒されたといいますか、述べにしたら40人近い人間が集まって一つものを作ろうということになってしまうと、何事か完成に向かわざるを得ないということです。行雲流水にははっきりと「ESQUISSE 3/3」に参加してくれということで話を振っちゃいましたけれど、内容的にいっても、コンセプトの上からいっても、前二作との関連性はないですね。これは「ESQUISSE 2/3」も同じことで、今となってみれば、エスキスという名前は動くためのつじつま合わせみたいなものに過ぎなかったということですね。

t・え!?それでも、一番最初の「ESQUISSE 1/3」を作ったときには、ざっくりとした形では三部作にしようというアイディアはあったんでしょ?

y・最初にエスキスというシリーズを考えついたのは、すごくイヤラシイ意味で、市場に常に作品を流せる状況を作ろうと思ったからでした。習作だったらぱんぱん出来るだろうと。そこはでも習作ですとあらかじめ名乗っているわけですから、買う方も完成品のクオリティーとはまた別の何かを買うことが前提とされているわけです。

t・なるほど。面白いなと思うのは、作ってる本人〔amephone〕は、そうやって動いていく中で考えを膨らませているわけでしょうが、こっち〔行雲流水〕としては三部作という〔大作〕ものの最終作品に参加することになると思っていたわけで...

y・スミマセン(笑い)だいたいこの作品の存在感みたいなものを考慮に入れた場合、「ESQUISSE 3/3」といういかにもシリーズ物的なタイトルがついているのはシックリこないですよね。これもそこに絶対的な価値を見いだして言ってるわけじゃないんですけれど、これほど完結性の高い作品も珍しいんじゃないでしょうか。人事のようですけど、人間のやることってのは、時に不可解な結果を残しますね〔笑い〕。

t・じゃあ、シリーズという大きな流れを考えて、今回の「ESQUISSE 3/3」というものを作っていくとか、誰かとたまたま、たとえば行雲流水と出会ったから、「ESQUISSE 3/3」に向けての特別な曲を準備したとかではないんですか?

y・amephoneの曲ですか?

t・amephoneの曲。

y・いやもちろんアルバムに収められた行雲流水以外のトラックは書き下ろしですよ。

t・ただし、シリーズの中でそれを考えたということはないんですよね?

y・ええ。

t・そうするといよいよ、今更わかってどうなんだ、という気もいたしますけれど、行雲流水チームは、ある種のトライバルなフォークチームだったというのがね(笑い)、ようやくアルバムコンセプトというものを通してamephoneの作る一曲の中におけるコラージュ感と同様に、この「ESQUISSE 3/3」という一枚のアルバムの中での行雲流水の位置が、今更ながらによく見えてきました。とすると、そういった行雲流水チームをうけての、ポップス部門としてamephoneのトラック、今までのアルバムにも聴かれる通り、ある種のエスニックテイストを含んだこれらの曲はどのように作られて、ま、この「ESQUISSE 3/3」に関しては僕もamephoneチームにも入れていただいて、全曲参加する形になり、その経過を見ていったわけですけど、あらためて、この楽曲群に至る経緯みたいなものをね、やはりちょっとずつ説明していただけると良いかなと思います。

y・作曲に関しては、先程お話ししたコンセプトぐらいしかないと思っています。人が聴いてエスニックだなとすぐ判断できるようなものを、と考えていただけです〔これはいつものことなので、こんなことすら考えていなかったかもしれない〕。もう少し言えば、行雲流水のリチュアルなテイストに対してこちらはポップだと。ではいったいどんな風にしてそのエスニックな曲風を実現していくか。これも行雲流水の各曲が仕上がっていくのを見極めつつ、ここからそうはずれないであろう形式のものを、かなり主観的に(笑い)、選んでいったと。それがまあ、クロンチョン(※19)であったり、ハバネラのリズム(※20)であったり、インド歌謡(※21)であったり、という具合です。

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※19 クロンチョン

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※21 インド歌謡

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t・クロンチョンであったり、ハバネラであったり、そのセレクトは単にその時期の興味なんですか、それともやはりアルバムコンセプトを前提に持つ中で生まれてきた興味なんですか?

y・それもですね...正直そんなに覚えていないという事は、その時々の興味に過ぎないんでしょうね。行雲流水のそれぞれの曲を吟味して、これに近い形式を持つ音楽を世界各地から割り出す、そんなきまじめな作業はありませんでした。ただこれはいつも考えていることなのですが、ルンバ(※20)をやろうが、クロンチョンをやろうがそのことにはさほど深い意味はないのではないかと思っています。我々はいつも曲想をよそから借りてくるわけですけれど、この選択の段階ではロジックはいっさい働きません。勘か、もしくは行きがかり上ってやつです〔ただ無意識のうちにでも、”選んでいる”というのは事実だと思う〕。興味があるのは、amephoneの曲とその模倣の対象となった曲の間に構造を打ち立て、それを聴いてみたいということです。例えば、サンバ(※20)をやろうということになったとして、まずこの世に音楽というのはサンバしかないということであれば〔どんな対象でも真剣にそれに臨めばそれしか見えなくなるということはよくあるでしょうし、そうしなけりゃいけない〕、そこに見い出されるのは単なる形式です。これを我々なりに〔我々が理解しうる範囲で〕研究し、法則を見つけ、これを持って改めて実践に移すことでamephoneの、という曲が出来る。このアイダに初めて構造が生まれるのです。

t・なるほど。ますますこれで「ESQUISSE 3/3」というのが見えてきましたね。自分が参加した位置から見ると、行雲流水との絡みということで最初に不安みたいなことをお話しましたけれど、結局、今の形式と構造の話からいくと、とってもシックリ来るんですよね。行雲流水はまさにゼロから音楽における形式と構造をいかにして作っていくかということをやっているわけですし、amephoneチームにも個人的に参加して確認できたのですが、ワールドミュージックと言われているものをきちんと形式や構造を踏まえて再度見直すことから始めて曲を立てていくということがね、すごくシックリわかる。

y・そうですね、行雲流水は始めから、図形楽譜というものを用いて自分達の音楽を作っていくというアイディアがはっきりしていました。なぜ図形楽譜を使うかといえば、いわゆる五線紙で表記される音楽体系になじまない人たちでも、音楽の演奏に参加できるのだということがありました。つまり、演奏の機会ごとに、そのつどそこに集まった人たちに対して、フェアーな形で演奏についての教育〔?〕を可能にするため図形楽譜を用いた。行雲流水は音楽の形式について、最初から敏感であったわけです。アルバム作りに参加する過程で、今度はその形式を如何に体系化し、構造化していくかを試みた。その結果を録音したものがこのアルバムに収められている、ということになります。ですから私にとってもこの共同作業は大変意義深いものでした。怖いぐらいです。今まで自分が音楽〔を作ること〕についておぼろげにしか理解できなかった部分が、この作業を通してかなり明確になってきた。これ以前にとっていた制作方法を全て否定したくなるぐらいです(笑い)。

t・このアルバムに入っているamephoneのポップスというものも、結局、僕が初めて触れた十数年前のものとそのテイストにおいて変わらない調和が取られているのは、実は構造化されたものとか、形式をどのように利用するかといったことが何かしらの方法で、きちんとつながっているという気がするんですよね。だから、単なるコラージュ、寄せ集め、もしくはキッチリ作られたものとはまた違うものが「ESQUISSE 3/3」の中のamephoneのポップスの中にもやっぱり現れている。単純に形式を借りてくるだけではなくて、また借りてきた形式の中にただピッタリと自分たちの演奏を合わせるコピー、自分たちがそのものになることなどできない、よその国の人たちになろうとするようなことではなくて、自分たちの方にそれを引き寄せながら、正しくその構造を利用してやっていくというのは、アルバムに収められた、「紅い橋」、「スミレ」、「虎」というような楽曲から、しっかりと汲み取れると思うんです。そういう意味で非常によく出来てるなと、というか出来ていないと多分こんなふうには聴こえないだろうなと、混沌とした状況にも陥いることなく。

y・コラージュというトピックに対して、 僕と高橋さんとの共通の見方は、表現の手法として盲目的にそれを行使するだけではなくて、そうすることの人間的な動機を知りたいということの内にあるんだと思います。もちろん作家としての興味ですから、コラージュする手の快楽に為す術もなく従うままでいることもしばしばなのですが(笑い)。ただここに作家として、個人の閉ざされた〔それゆえ芸術的な、とされる〕身振りだけを言って終わりに出来るような時代では最早無いわけで、コラージュの手法を含めた表現行為の持つメカニズムをどこかで規定していかないと気持ちが悪いと(笑い)。僕も含めて作家というのは頭の良い人たちばかりではないですから、その表現もほっとくとただ洗練の方向に向かうのみになってしまうでしょ。徹底してそちらに向かうのはむしろSONYとかに任しておけばいいわけですから。我々の仕事じゃないと思うんです。僕は出来上がってくるものはでたらめなもんでも構わないと思っているんです。しかし、クリエイトしたいという欲求については、それが沸き起こる瞬間から、純粋で嘘のない判断を下していきたい。その状態を維持していくためには、やはりロゴスも必要です。

t・この対談が存在する必然性ということですよね。

y・今すでに、この楽譜の読み方についてお話いただいているんですね。

t・はい。根本的には(今までと同じように)黒ワクの中に描かれたG、B、Dの音の反復だけです。ちなみに、これを自由に繰り返せということは、ただG、B、Dの記号を示すのみにして細かな説明は省いてあります。

y・G、B、Dのどこにいても良いのだけれど、自分がGの音と書かれたワクのところにいるとすれば、Gの音のオクターブを反復しなさいということですね。

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